
twitterに日本一の働き者の話を書き始めて、とても字数が足らないことに気付き、途中で切り上げました。その続きをここで書いておこうかと思います。なかなかにややこしいテーマなので、話が重複するところもあると思います。
おいらはその昔、大学生の頃、日本一の働き者になろうと思っていました。これは、才能で追い着かない部分を量で補う作戦です。日本一というくらい努力すれば、どんな仕事をしても何とかなるのではないのかと思ったのです。
バイト先でもがんばって、そこの歴代一の働き者になろうというつもりで働いていると、実際、いろいろと仕事を任せてもらえるようになり、単にバイトという枠を超えて働いていました。元々、こういう考え方をするようになったのは、大学に入る前の受験生時代に通っていた美術研究所での体験がベースになっています。大学受験で行きたいところに行くために、まずは現在の自分のいる環境で誰にも文句を言われないように努力しておこうという作戦でした。後で「あの時もうちょっと努力しておけば・・・」というのがないようにね。
そうしながら周りのことを観察したりしていると、才能だけではやりたいことが出来るようにならないことも分かります。そうなると、後は努力と運も加算して先へ進むようにしなければいけないのですが、運は自分の都合で左右できない要素なので、やっぱり努力というか量を積み上げる必要が出てくるんですね。
日本一の働き者になるというのは、その量を補うための作戦で。このくらいの心積りで働いていると、それなりに使ってもらえるようになるものです。
さて、現在はミラノで生活しているので、イタリア一の働き者が目標になります。実際のところ、よく働くイタリア人を知っているので、それ以上に働くのは難しいのではないのかと思いつつ、今でも出来る範囲で量も補っています。
こういう話題で分かりやすい例をあげると、若くて注目されるようになるカルチョの選手で、誰もがうらやむような才能と肉体を持っていながら、練習や(スポーツ選手としての)体調の自己管理などよりも休みの日のパーティーなんかの方が忙しくて、注目された割には結果が伴わない人が時々います。一時的に大活躍しても、長い間活躍を続けられない人。こういう類の選手は、才能に頼りすぎで世界一の働き者になろうとしなかった人ですね。逆に、才能は普通だった感じの選手でも、長年努力を惜しまずに練習し続けた場合は、それはそれで監督に重宝される優秀な選手になれたりするものです。そこまで辿り着けば、才能ではてんでかなわなかった選手との試合でより活躍できたりするってものです。だから、量は侮れないのです。
おいらの場合、時代的に個人的な就職時期の日本の社会がしっくりこなかったこともあり海外に出たため、日本一というのはもう考えません。日本一は桃太郎に任せています。
ミラノ入りしてから、最初に働き始めたデザイン事務所でもこの作戦を応用して、最初はここで歴代一位の作業員になろうと思っていました。しかし、この事務所は当時結構重要な事務所として認知されていたくらいで、長年働いていたパートナーデザイナーの人なんかを見ていると、ここで歴代一位は難しいと思うようになりました。それが、風向きが変わって割りと早めに重要な仕事を任せてもらえるようになり、最終的にはかなり重要な位置で仕事をしていました。もうこれ以上はここにいられないという状況になってから独立したのだけれど、がんばれば日本でも海外でも何とかなるものだということを学んだ感じです。
さて、我が家の子供達は、そんな若かりし時代のパパの年頃に段々近づいていますが、おいらのその年頃の状態に比べ、将来的な夢というか、設計において、あまり高望みをしない傾向にあるようです。現実的というか。個人的には、もう少し破天荒な将来設計をするくらいでちょうどいいと思うんだけれどなあ。

ここをクリックしてランキング応援よろしくお願いします。