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バリバリの小学生


我が家の息子は日本の学年では今5年生で、4月から6年生です。まだバリバリの小学生。それが、イタリアでは小学校5年、中学校3年、高校5年というシステムなので、イタリアの学校では既に中学生です。ママは「もう中学生なんだから、自分のことは自分で責任を持ってやりなさい」と言うけれど、おいらは自分の5年生だった頃のことを思いだすと、とても強い調子で子供にあれこれ言えないです。

長女なんかはおいらの同い年だった頃の思い出と比べると、彼女の方がずいぶんとしっかりしているような気がしてしまいます。次女も割りと大丈夫そうだ。ただ、彼女達とおいらの思春期の最大の違いは、当時のおいらが既に将来的な方向性というか、やりたい仕事がはっきりしていたということだと思います。おいらはかなり小さい頃から大きくなったらどういう仕事をするか自分で確信を持っていたので、そういう意味ではあまり回り道しない人生だったかもしれません。高校進学や大学受験を通しても。なので、子供達にはあまりいいアドヴァイスが出来ないけれど、とりあえず今やれることをがんばってやっておくことが大切だといっています。この先やりたい仕事が見つかっても、ある特定の学力が足りなくてあきらめないといけないなんていうのは悲しいからね。

我が家の子供達に限らず、将来のことはよく分からない若者というのは多いのですが、分からないからとりあえず今を楽しむというグループも古今東西問わずいるようです。我が家の近くでも、夜に駅に集まって無駄に時間をつぶしている若者が結構います。ただ高校生くらいの友達が集まっておしゃべりしているだけなんだけれど、おいらは夜に出張から帰ってくるたびにこういう若者を見て、なんて時間の無駄使いをしているのだろうと残念に思います。この時間を使って何か、例えば学校の宿題以外に英語の勉強をするとかすれば、自分の将来が全然違ってくるということがまだ分からないのですね。

若いうちはおしゃれをするといっても、おしゃれをするお金は全て親から貰っていたりするので、伊くらい衣服を着ていても、それは自分がかっこいいとかおしゃれということではないのだけれど、その辺りの価値観もあやふやな年頃の若者が時間の無駄遣いをしているのが、人事ながら残念なことだと思うのです。なので、我が家の子供達には、少なくともそういう時間の無駄遣いだけはしないようにして欲しいと思っています。

時間だけは、どんな人にも完全に平等なので、これをうまく使わない手はないのです。

話を元に戻すと、おいらの小学生だった頃は、6年生からの記憶は割りとあるのだけれど、5年生以前の記憶は急に思い出せる状況数が少なくなります。多分かなりのんきに時間を過ごしていたのだと思います。今の世の中では、ああいうのんきな空気というのはなかなか味わえないんじゃないのかと思います。


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2010年11月21日 08:40に投稿されたエントリーのページです。

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