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連載小説『旅行的女』 アーカイブ

2010年02月02日

連載小説 その1


彼女達の観光バスが、イタリア・ツアー・ミラノ宿泊日の夕食のためにそのピッツェリーアに着いたのは予定より13分遅れ。がやがやとバスから降り、横断歩道のない大通りを横切り店内へ。一応薪釜の店だけど、一見してファミレスタイプのモダンだが飾り気のない店内だった。彼女は、雰囲気的に少し期待外れな印象を持ったまま、味の方は期待に応えてくれることを望んでいる自分に気付き、笑みを浮かべながら指定されている予約テーブルに着いた。

ツアーで旅行中といっても、一人で応募して来ている彼女は、特に話し相手になってくれる人もいないため、静かにメニューから何を頼もうかと考えていたところ、ガイドの人が「既に団体扱いで、全員分同じメニューをオーダーしてあります」と、彼女達のテーブルにも伝えに回ってきた。どうやら、バスを降りる前に伝達すはずのところ、言い忘れていたらしかった。ともかく、彼女は何もなかったかのように静かにメニューを閉じることになった。
好きなものを注文できないのはちょっと残念だけど、ツアーの旅行なのでこんなものかと気を取りなおし、スプマンテが運ばれてきたところで同席の皆で乾杯した。
ミラノだからミラノの料理かと思っていたら、ナポリ風のアンチョビ・ピザがテーブルに運ばれて来た。同じイタリアだからこんなものかと納得して今回ツアー初のピザを完食。テーブルの他の女の子達は半分くらいしか食べていなかったので、自分の食欲にちょっとびっくりしつつ、デザートにティラミスも食べ、すっかり満足した彼女は、同席の女の子達にことわってトイレへ席を立った。先日、自由時間に立ち寄ったローマのバールの洗面所は、ちょっと汚くてびっくりしたばかりだけれど、この店のトイレは思ったよりきれいだったので安心した。

安心も束の間、トイレから戻って来た彼女は、がらんとした店内にびっくり。
「えっ、そんな」
一瞬考えがまとまりかねたので、自分の座っていた席に戻って状況を理解しようと試みた。
「これって私、置いてけぼり?」
ツアーで来たミラノで突然一人ぼっちになった彼女の頭をさまざまな考えが猛スピードで走り抜ける。

「とりあえずパスポートは持っているけど、イタリア旅行も終盤のミラノだからあいにく手持ちのお金はあとわずか...」

「飛行機の切符は旅行会社の人がまとめて持ってたからここにはないし、知ってる人がいないから誰に相談してよいものかも分らないし...」

「走馬灯のようにとは、こういうパニック時の思い出の行進なんだ」と自分の新発見を、口に出さずに心の中で考えているとき、先程から一人で店に残って考え込んでいる彼女を見守っているウェイターのおじさんと目が合った。

決断は早かった。おもむろに立ち上がると、彼女に同情的な笑顔を絶やさないウェイターの所につかつかと歩み寄った。そして英語で開口一番「ここで働かせてください。」

思わぬ展開に、状況がよく分らなくなってしまったウェイターの顔色が変る。「ちょ、ちょっと待ってて下さい」とイタリア語で言うと、奥のレジの方に行って誰かと話している様子だった。しばらくすると、落ち着いて待っている彼女のところへ、ウェイターと一緒に店主らしい人が姿を現した。そして一言「いいだろう」と言った。

彼女の新しい生活が始まった。店主の娘のアパートに間借りして、夜はピッツェリーアで働く日々が始まった。言葉の問題があるので、働くと言ってもウェイターのアシスタント的な感じでしばらく試してみることになった。

いざ全く新しい生活を始めてみると、思いの他戸惑う事も少なく、快適な環境に恵まれている実感がわいて来た。まず仕事がピッツェリーア/リストランテなので、毎日プロの作るおいしいご飯が食べられる。問題の言葉の方も、1歳年下ののイタリア人の女の子の部屋にホームステイしているので、めきめきと上達するのを彼女自身も楽しんでいた。それに、「ポケット旅の5ヶ国語」の”イタリア語/レストラン編”のページがとても助けになった。


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2010年02月04日

連載小説 その2


彼女が始めて彼と会ったのは、ミラノで働き始めて2ヶ月目のある水曜日。時々仕事帰りに食べに来るボローニャ出身の若者で、1人暮しをしていた。

仕事を始めて間もない頃は、ウェイターの見習いをしながら日本人の団体観光客が来るときの接客担当が主な役割だった彼女も、彼が来店した時にはもう自分で注文を聞けるようになっていた。そして、彼がいつも陣取る2人用のテーブルは彼女の担当だった。
「飲み物は何にしますか?」「ガス水で。」そんな何気ない言葉の遣り取りから2人の恋は始まった。少なくとも彼女にはそう思えた。「2皿目はお決まりですか?」「はい、ポルペッテとパターテ・アル・フォルノを願いします。」そんなさりげない言葉の中に彼女には何か感じるものがあった。「きっとこの人は、ポルペッテよりもパターテ・アル・フォルノが食べたいんだ。私には分かる気がする。」

「1皿目はお決まりですか?」「えーっと、じゃあ、ペンネのカルボナーラを。」初めての来店から数ヶ月が過ぎたその日の2人はいつもと変わりなく見えた。思いがけない展開からイタリアで働くことになった彼女も、最近では仕事で使う言葉には不自由しないようになり、少し心にゆとりが感じられるようになったところだった頃。ルームメイトともすっかり仲良くなり、不安で一杯だった毎日が、楽しみを発見する毎日になっていく、そんな状態に差し掛かっていた頃。
切り出したのはやはり彼女の方だった。「今日のデザートは何がありますか?」「チョコのトルタにティラミス、レモンのシャーベット、季節の果物、それと...私。」
唐突な彼女のジョークに100メートル先からでも分るほど赤面してしまった彼が、ワイングラスを手にしたまま石のごとく固まって時間が止まった。止まった時間の中で、彼女は彼の答えにある確信を持っていた。彼女は止まった時間の中で、その言葉を待っていた。どのくらい2人は見詰め合っていたのだろう、止まっていた時間から戻ってきた彼がやっと口にした言葉、「それじゃあ、結婚しようか?」

2人は結婚することにした。

彼女の人生はまた新たな展開、それも猛スピード。結婚式は市役所内の教会ですることになり、あわただしい準備の日々がはじまった。午後はお店の近くの教会で「結婚について」の勉強会が3ヶ月も続く。そうだ、イタリアはカトリックの国だったのだ。そして婚約から半年後の日に結婚式の日取りも決り、突然に思えた彼女の「婚約」も段々現実味を帯びてきた。ただ、正直なところ、勉強会での神父さんのお話は、彼女の語学力では全く歯が立たないことが分かった。

日本で彼女の捜索願を出していた父の所に、思いがけず本人の彼女から結婚の知らせが届いた。
何がなんだか状況がよく把握できない父は、即日会社に休暇届を出して、妻と供に初めてのイタリア行きを決意した。最初に立ち寄った旅行会社の窓口で接客してくれた女の子に勧められるまま「ミラノ6日間お買い物プラン」というツアーで出国することになった。


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2010年02月06日

連載小説 その3


格安ツアーで娘の安否を知るためにミラノまで来た両親は、「自由行動」の取れる週末の2日間に娘の居場所を探す必要があった。まず、結婚式の後の昼食会に指定してあるレストランに情報を得るため足を運んだ。前もって調べてきた単語を並べた英語で来店の事情を説明すると、以外にもそこが娘の職場だという事がわかった。父は涙した。
お互い片言の英語ながら、店の人から娘のことについていろいろと情報を得た母親は、娘は「残念ながら、今週末に限ってルームメイトと海沿いの別荘へ行っている」ということを泣きながら立ちすくんでいる父親に説明し、娘のことをよろしくお願いしますという旨のことを伝え、店を後にした。
本人には会えなかったけれど、一応の状況を理解した両親は、「自由行動」の日程を終え、ツアーの目玉になっているミラノ近郊アウトレットモール巡りに参加した後、帰国することになった。母親はアウトレットで連れて行かれたお店の一つで娘の結婚式に着ていく服を選んだ。旅行中ほとんど無言で通している父親にも式に来て出られそうな服を彼女が選んだ。イタリアでの冠婚葬祭の習慣は分からないので、せめて服くらいはイタリアの服を着ることにしようと思い立った母親のアイデアで買い物を始めたところ、気が付けば同じツアーに参加している女の子達に負けないくらいの買い物袋を手にホテルに戻ることになった。

両親は、日本へ帰国次第、捜索願を早急に取り下げることにした。

ルームメイトの家族の別荘で週末を過ごすという話がまとまり、海を眺めながらのんびりして来るつもりでミラノを離れた彼女だったけれど、実際には海辺のディスコテカでルームメイトの友達と連夜明け方まで遊ぶことになった。ルームメイトが彼女を海の家へ招待すのを口実に、自分が羽を伸ばしたかったのだろうと思いかけていたけれど、実際には、結婚を控えた彼女に嫁入り前最後のバカ騒ぎをさせてあげようという心遣いであったことが分かった。気持ちはうれしく思いながら、結果的にのんびりするどころか目の下にクマを作ってミラノに戻ってきた彼女だった。

留守をしていた間に両親がお店まで直接尋ねてきたことを知った彼女は「やっぱり家族は私のこと覚えていてくれたのね」と、ちょっと嬉しかった。しかし「それならなぜもう少しの間帰りを待っていてくれないのかしら」と思うとなんだか残念でもあった。お店の人が、彼女の両親が日本から彼女を探しに来るのに「アウトレットなんとか」という制度を利用していたため時間がなかったらしいということを残念がっていた。その制度とはどういうものか質問されても、彼女にも全く思い当たるところがなかった。どちらにしても再会できる結婚式の日はだんだん近づいていたので、あまり深く考えないことにした。実際には、彼女がお店に帰ってきた日の夜にも、両親はミラノのホテルで買い物をスーツケースに詰め込んでいるところだったのだけれど。

教会での「結婚について」の勉強会も無事終了し、イタリアの青年との将来に確信を持って、彼女はいよいよ結婚式の当日を迎える事になった。日本からも少ないながら招待した友人達が祝福に駆けつけてくれた。友人達は前回の両親のように、「ミラノアウトレットツアー」に参加して、自由行動の週末に彼女の結婚式に出席するという事だった。そして前日には再びイタリア入りした両親と再会した。


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2010年02月08日

連載小説 その4


教会での「結婚について」の勉強会も無事終了し、イタリアの青年との将来に確信を持って、彼女はいよいよ結婚式の当日を迎える事になった。日本からも少ないながら招待した友人達が祝福に駆けつけてくれた。友人達は前回の両親のように、「ミラノアウトレットツアー」に参加して、自由行動の週末に彼女の結婚式に出席するという事だった。そして前日には再びイタリア入りした両親と再会を果たした。空港からタクシーでホテルまで直接やって来た両親を、彼女はホテルのロビーで待ち受けていた。久しぶりに娘の元気な姿を見た父親は、安心と、戸惑いと、不安と、もろもろの感情で言葉を失い、ただただ涙した。

結婚式は予定通り市役所内に設置された教会でつつましく行われた。彼女の母親は自分の娘の結婚式なのに神父が何を言っているのか理解できないもどかしさを感じていた。教会では、イタリア語の神父の言葉を英語でも同時翻訳して伝える配慮をしてくれていたけれど、日本語でなければどの道同じ事であった。父親は式の間中うつむいてしくしく泣いていた。本人も、いっこうに止まらない涙に困惑するばかりであった。そして式が終り、場所を彼女のピッツェリーアに移し披露宴となる。彼女の潤んだ目は素敵に輝いていた。新郎は「今日の君の瞳はダイヤモンドで出来たアーモンドみたいだ」と、日本の青年では決して発せられない言葉を彼女に贈っていた。

ふうがわりながら幸せな結婚式だったはずが、ちょっと雲行きが怪しくなってきた。日本からやって来ている彼女の父親の涙が止まらない。しかもだんだん激しくなり、我を忘れ声をあげておいおい泣いている。周りの人も始めの内は「よっぽど嬉しいんだねえ」と微笑ましく見ていたのが、だんだん場違いな大泣きに嫌気がさして来た様子だった。
新郎の父親がとうとう怒り出した。「なんだあいつは、めでたい席なのに大声で泣き喚いて、全く場違いなおやじだ!」
彼女の父親は、肉料理が出てくる頃になっても運ばれて来る料理には全くの手付かずで、ただひたすら子供のように泣き伏している。「弱っちゃったなあ。」彼女は苦笑い。次の料理に予定されているオラータのグリルを、魚の好きな父親に食べさせてあげたいという彼女の思惑は、既に意味を成さなくなっていた。
母親も、横の席で泣き伏している父親に声をかけてみるが、全く反応がないため、段々他人事のような感じがしてきた。他の出席者にも、始めの内は、何とか元気付けようと声をかけてくれる人もいたけれど、事態は悪化の一方となり、店内はざわめき始めていた。
泣き崩れている父親が、嗚咽してもどしてしまったのをきっかけに、 まるで名画座で上映される一昔前のイタリア喜劇映画のごとく、会場は大騒ぎになってしまった。新郎の父親を筆頭に激怒した親戚達が、彼女の父親に罵声を浴びせながら、ついには店から出ていってしまった。彼女の友達も、コースの料理が終わったところで、気まずそうな顔をしながら励ましの挨拶をして出ていった。気違いのように泣崩れている彼女の父親は母親に付き添われ、とりあえずホテルへ引き上げる事になった。


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2010年02月12日

連載小説 その5


披露宴に来ていた皆が出て行ってしまったがらんとしたピッツェリーア。1人席で事の成り行きを傍観していた彼女は、ふと思った。「何だか・・・、何だかまたあの日みたい。私だけ置いてけぼり。」同じ場所でまた1人で考え込んでいる彼女を、あの日と同じようにウェイターのおじさんが、そっと見守っている。彼女には祭りの後のような空間に「しーん」という音がはっきりと聞こえた。
そこへ、あの日の彼女のごとく、トイレから戻って来た新郎。空っぽの空間に驚きながら、そこに彼女に姿を見付け、彼女の隣の自分の席に腰を下ろした。言葉もなくただあっけにとられ、見詰め合っている2人のところに、ウェイターが何事もなかったかのように「そろそろカフェにしますか?」とやって来た。彼女に笑顔が戻った。「私にはいつものマッキャート・フレッドでね。」彼女は目の前の彼を見つめながら思っていた。「この人でよかった。だってこの人は私を1人ぼっちにしないもん」と、あの日とは違っている事実に胸を撫で下ろした気分になった。

翌日には新郎の家族から、日を改めてボローニャでもう一度新郎新婦の披露宴を行おうと申し出の電話があり、既に出発が予定されている新婚旅行から帰って来た後に日取りを決めるということに決まった。

3日後、彼女はまだ放心状態でいる父親と、必要以上に式の日の父親の失態を謝り続ける母親の2人をマルペンサ空港まで送って行った。チェックイン後に休憩していた空港内のBARで母親が、早めに2人で日本にも来るように、その時には日本の親せきを呼んで改めて披露宴をしたらいいということを言っていた。日本に帰れば父親も少しは落ち着くだろうという話だった。基本的には彼女の突然の結婚を心悪く思っているわけではない両親の提案をありがたく感じている彼女は、彼と相談して出来るだけ早めに日本へも行けるようにすることを約束し、ドタバタの再会となった両親に別れを告げた。

今までの人生をごく普通に過ごしてきたつもりでいたのに、気が向いて参加したイタリアパック旅行で突然波乱万丈な状況に入った感じの彼女と、なにが起こっても「都会のミラノならこんなものか」と落ち着いている彼の新婚2人は、予定通りその翌日の便でギリシャへ向け新婚旅行に旅立った。

第一部完


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